我が家にもらわれてきたのが平成11年7月。名前をアリスと付けた。 ネコ好きな妻は、そのネコがどんなネコか見抜くのに時間はかからなかった。 いじめられていたこと、凶暴で人になつかないこと、視力は悪いこと、そして・・・頭は良くないこと。 15年一緒に暮らしてみて、それらはすべて当たっていた。
前歯の牙は半分欠けていて、来客のチャイムが鳴ると、一目散に2階に駆けあがった。 眼を怪我した時、動物病院の先生から、「視力は悪く、 斜視です。」といわれ・・・・ そんな人嫌いで気の強いネコだったが、妻は非常にかわいがり、妻にだけはよく甘えた。
毎日、何回も家のまわりをパトロールするのが日課で、よそのネコが侵入していると イリオモテヤマネコのような凶暴さで向かっていった。カニカマが大好物で、キャットフード を与えると、カニカマはどうしたという顔つきで、じっとこちらを見た。 そういう日常が続き、時は流れ15年が経過した。
平成26年6月終わりの2日、餌を食べないので動物病院に連れていった。 肝臓病だった。脱水症状、体温が上がらず、黄疸も発生していた。 病は体全体の機能を低下させていて、いわゆる末期症状だった。先生から「治療しても完治する保証はないがどうするか」と選択を迫られた。・・・何か悪い草でも食べて食欲がないのだろう、ぐらいに軽く考えていた私たちは激しい衝撃を受け、言葉を失った。
頭が真っ白になったが、鼻カテーテルや胃チューブを用いて、治る見込みのない延命治療をしてもネコが苦しいだけと、延命治療をしない苦渋の決断をした。長年一緒に暮らした家に連れて帰り、最期まで見守ってやろうと思った。平成26年7月1日だった。
日に日に弱っていったネコは、自力では歩けないほど衰弱していったが、それでもなお痩せ細った震える足で懸命に歩こうとした。命ある限り、力の限り精一杯生きようとしたが、平成26年7月5日午前4時17分ついに力尽き、家族に看取られて天国に旅たった。病院へ行って4日後、それは七夕の2日前だった。 享年15 俗名アリス 戒名ボブキャット
この記録がなければ、生きた証がなにも残らない猫の一生だった。 人に媚びることもなく、世間体を気にすることもなく、お金や名誉や地位、肩書き、私利私欲にも全く無縁の生涯だった。
動物病院の先生によると、食事をとれなくなった猫はエネルギー源として、最後には自分の筋肉を削るそうである。私たちの猫も亡くなった時、体重は驚くほど減り、体の幅は煎餅蒲団のような薄さだった。
追悼記
猫が亡くなって1年がくる。我が家に来たのが16年前。地元テレビで「飼ってくれる人に子猫を譲ります」という放送があり、3~4匹の子猫の写真がでた。その中の1匹を妻が選んで、我が家に引き取った。その選択が間違っていたと妻はすぐ気付いた。
人になつかず、飼い主にも噛みついて爪を立てるような、手に負えない猫だったのだ。いじめでも受けたのか、前歯の牙は半分欠けていて、人を信用しないような人嫌いなところがあった。そのため、妻の両手は猫の爪で引っ掻かれた傷跡が絶えず、それは2年近くも続いた。普通の人なら、とっくに根をあげているところだが、根っからの猫好きな妻は、それでもなお「アリちゃん、アリちゃん」といって、可愛がり続けた。
やがてそれは猫に通じたのか、爪を立てることもなくなり、自分の母親だと思ったのか妻に甘えるようになった。妻が外出すると、帰りを待ち、寝るのも一緒。それは亡くなる時まで続いた、
我が家に来て15年目の時、体調を崩した猫を病院へ連れていくと、「重い肝臓病で、すでに容体は深刻化しています。」という思ってもいない衝撃的な診断結果を受けた。末期症状だった。猫が苦しいだけの鼻カテーテルや胃チューブを用いる延命治療をやめ、家に連れて帰った。
我が家に帰った猫は、日に日に衰弱していった。自分ではほとんど歩けなくなった猫の死期が近いことを悟った妻は、見納めだと思ったのだろう、猫が毎日パトロールしていた庭に抱いて連れていき、話しかけながら歩いた。
それから3日後の早朝、家族に看取られて息を引き取った。7月5日、七夕の2日前だった。亡くなる直前、朦朧とした意識のなかで最後の力を振り絞ってかすかに鳴いたが、力がなく声にはならなかった。別れの挨拶だった。
今年もまた七夕がやってくる。あの日と同じような暑い夏が又始まる。