雨の降る3月上旬、高屋にある森近運平刑死五十周年記念碑とその側にある墓に行って来た。行くのははじめてである。井原市の髙屋町は、今は「子守唄の里」として宣伝されているが、昔は日本史にも出てくる大逆事件で無実なのに冤罪を着せられた森近運平の出身地として知られていた。「子守唄の里」だというようなことは昔は聞いたことがなかった。

縁あって現在は高屋町に住む私は、「大逆事件」については以前から関心があったが、今まで町民でその会話をしているのを聞いたことがない。誰も話さないのだ。昔のことで知らないのか、話したくないのか、無視しているのか、よくわからない。碑が建っている場所は高屋町の奥のはずれで、周りは何もなく昼間でも寂しい所だった。しとしと降る雨のせいで肌寒かったが、森近運平の涙雨のようだった。

権力を笠に着て、自分に都合の悪い者や社会的に力のない弱い立場の人を、でっち上げてでも徹底的に叩く社会の構図は、100年たった今でも余り変わっていないような気がする。怒りと憤りを覚える。